2021年に読んだ本のNo.1 角幡唯介『狩りの思考法』

1. 私がやりたいのは、明確な目的地を決めた到達至上主義的な旅ではなく、狩の結果次第で行先や展開が変わる「漂泊」だ。そして極北の(一部の)地を自分の「裏庭」にしたいと考えている。
2.現代日本社会では、安全こそ、自由や人権よりも価値の高い概念として希求されている、と思わざるを得ない。私は安心安全という言葉が何より嫌いで、安心安全がそんなに大事なら、家の中でポテトチップスを食べて一生暮らせばいいじゃないか、でもそんな人生面白いか?との苛立ちをおぼえる。
3.情報通信技術の発達が未来予測=安心安全という等式の成立を一層加速させている。私たちは不確定なものがあれば、たとえばこのラーメン屋はうまいのか不味いのかさえ、検索をかけて情報を引き出し、不確定さを少しでも除去しようとする。しかし、どんなに情報で塗り固めようと、事物事象がもつ未来の不確実さ、底暗さを完全に取り除くことは出来ない。私たちもそんなことは知っている。しかし、私たちは別に正しい未来予測を欲しているわけではなく、未来予測を得られたという安心感を欲しているだけである。そして日常とは未来予測により安心できる時間の連なりとしてとらえている。
4.イヌイットの狩りのやり方や生活のリズムは犬がいることを前提としている。彼らは何千年、あるいは一万年以上にわたって犬を飼いならしてきたが、同時にそれは彼らが犬に飼いならされてきた時間でもあった。
5.イヌイットはしばしば「ナルホイヤ(先のことはわからない)」という言葉を使う。この言葉は、未来を正確に予期することなど人間には出来ない、人間は今日の目の前の現実に身をさらすことでしか生きていくことは出来ないという彼らの哲学を表している。それは<いま目の前>の場当たり的で偶発的な出来事に身をさらし、そこから開ける新しい可能性におのれの身を、運命を投げ入れることでしか生のダイナミズムは得られないということである。
6.目的到達を最優先する計画的行動は、途中の風景や土地、事件、出来事と、行動者とのあいだに本質的なかかわりを生じさせない構造になっている。したがって最大限到達できるのは、事前に計画した目標地点の到達までであり、いろいろなことが途中にあって、当初考えたていたところとは全然違うところにやってきたというダイナミズムは生じ得ない。
7.イヌイットのモラルとは何か。それは、自分の頭で考えろということである。決まったやり方などない。その時の状況に応じてやり方を柔軟に考えなきゃならん、ということだ。
8.システム中心の近代社会では、社会全体の効率は高まりどんどん豊かになる一方、個々人の能力は劣化し、知恵が衰退し、社会の歯車となり、生きていてつまらなくなる。